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南北朝鮮、「1905年日韓併合条約は無効」
■「1905年日韓併合条約は無効である」…南北閣僚級会談で一致
朝鮮民族の可変史観の観点から「無効」を宣言されても・・。
ちなみにこの件は皇紀弐六六一/2001年に國際会議で結論が出ています。
■英の学者ら「日韓併合不法論」支持せず 韓國主張崩れる
「自分で生きていけない國について周辺の國が國際的秩序の観点からその國を 取り込むということは当時よくあったことで、日韓併合条約は國際法上は不法なものではなかった」
「強制されたから不法という議論は第一次世界大戰(一九一四-一八年)以降のもので当時としては問題になるものではない」
また、関連して以下のものを見つけました。
■韓國が今までに破った國際法(条約、協定)
1388年 明の属國化(元との宗属関係を一方的に破棄)
1597年 撤兵中の日本軍との休戰協定を破り交戰
1907年 ハーグ密使事件(第二次日韓協定を無視)
1948年 大韓民國建國
(併合条約を一方的に破棄。サンフランシスコ平和条約で日本が領有権を放棄するのは3年後)
(さらに、自分で出した1919年の対日永久非同盟宣言も無かったことにして、日本と安保同盟を結ぶ亞米利加の庇護下に入る)
1965年 ベトナム戰争で残虐行為を働く
1998年~ 米韓協定下で太陽政策を推し進める
2004年 NPT条約を無視して核開発
21世紀になってもまだ事大主義と結論先行・自己肯定の思考様式を捨てられないからこうなってしまうのでしょう。
でも朝鮮民族ある限り、それが是正される日も来なさそうですが。
大本営みずほは、韓國を應援していません。
朝鮮民族の可変史観の観点から「無効」を宣言されても・・。
ちなみにこの件は皇紀弐六六一/2001年に國際会議で結論が出ています。
■英の学者ら「日韓併合不法論」支持せず 韓國主張崩れる
「自分で生きていけない國について周辺の國が國際的秩序の観点からその國を 取り込むということは当時よくあったことで、日韓併合条約は國際法上は不法なものではなかった」
「強制されたから不法という議論は第一次世界大戰(一九一四-一八年)以降のもので当時としては問題になるものではない」
また、関連して以下のものを見つけました。
■韓國が今までに破った國際法(条約、協定)
1388年 明の属國化(元との宗属関係を一方的に破棄)
1597年 撤兵中の日本軍との休戰協定を破り交戰
1907年 ハーグ密使事件(第二次日韓協定を無視)
1948年 大韓民國建國
(併合条約を一方的に破棄。サンフランシスコ平和条約で日本が領有権を放棄するのは3年後)
(さらに、自分で出した1919年の対日永久非同盟宣言も無かったことにして、日本と安保同盟を結ぶ亞米利加の庇護下に入る)
1965年 ベトナム戰争で残虐行為を働く
1998年~ 米韓協定下で太陽政策を推し進める
2004年 NPT条約を無視して核開発
21世紀になってもまだ事大主義と結論先行・自己肯定の思考様式を捨てられないからこうなってしまうのでしょう。
でも朝鮮民族ある限り、それが是正される日も来なさそうですが。
大本営みずほは、韓國を應援していません。
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コメント
まぁ南朝鮮がこういった条約とかの約束事について信頼できる民族じゃないってのは重々承知だったのですが、
> 1388年 明の属國化(元との宗属関係を一方的に破棄)
この件は初耳でした。
そうなると楽しみなのが、もうそろそろ来るであろう中華人民共和国崩壊のその後、ですね。
> 1388年 明の属國化(元との宗属関係を一方的に破棄)
この件は初耳でした。
そうなると楽しみなのが、もうそろそろ来るであろう中華人民共和国崩壊のその後、ですね。
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撤兵中との日本軍との休戦条約も破っていたのですか…
歴史好きな僕も知らないことだらけであると言う事を思い知らされました
そして結果、日本の軍神の一人である島津義弘公により、明軍ともども撃破された後にもかかわらず(泗川の戦い)、勉強を知らない朝鮮軍は日本軍が撤兵中のところを襲撃(露梁津の海戦)。島津義弘・立花宗茂らの迎撃により李舜臣も戦死…と
朝鮮民族は昔から過去に学ぶことはできない民族のようです。