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【韓國】朝鮮半島での日本人の桜植樹は「文化侵略」、ワシントンの日本桜は「ウリナラ起源」
■【日韓】 韓日親善の幻想〜反省と謝罪のないまま韓国に桜を植えた日本(朝鮮語)
■「米ワシントンの桜の原産地、日本ではなく済州島」を知らせる運動(朝鮮語)
この分裂した主張からは、彼らが桜を一体どのように捉えたいのかさっぱりわかりません。とりあえず、以下の類型のような条件反射の如き思考をしていると解釈するのが妥当ではないでしょうか。
【日本文化】×【@半島】=「文化侵略ニダ!」
【日本文化】×【@世界】=「ウリナラ起源ニダ!」
1960年代中盤以後、国内あちこちで大々的に起きた「桜植樹」に在日韓国人と日本人たちが組織的に介入した事実が明らかにされた。これらは巨額を投入して日本の桜の苗木を飛行機にのせて運び、寄贈しただけなく鎮海(チンヘ)の場合、日本人植物学者らが以後自発的に何回も訪韓して肥料を与えて成長状態を把握するなど真心を注いだことが確認された。
当時このような桜植樹は、反日感情を刺激して批判的な世論を起こしたことが確認され、解放20余年たってからまた桜を植えることが国民情緒を無視したまま推進されたことが分かった。慶南鎮海桜の「復活」、汝矣島桜花見通り、日帝時代湖南のお米が日本に運ばれて行った「収奪の道」、全州〜群山間の国道の桜通りなど、かなり多数の国内の桜の木がこのようにして植えられて今日に至る。
このような事実は、当時苗木を寄贈した在日韓国人、担当公務員、郷土史学者たちの証言と取材チームが在日韓国人の知り合いから単独で入手した関連資料などを通じて初めて確認された。ソウル市、全羅北道、鎮海市、群山市、全州市など該当の地方自治体と傘下機関には関連記録が全くなかった。
これによって「巧みな文化浸透」という指摘とともに、特に日本人たちがどうして韓国に桜を植えたのか、その背景と意図に「歴史的関心」が集まっている。桜植樹が推進された当時、国内では桜の苗木を求めにくかったというのが当時の実務者たちの一致した証言だ。
1945年解放以後日本ミリタリズムを象徴する桜があちこちで切り倒されたためという説明だ。
(中略:日本側の友好のためというインタビュー)
これに対してファン・ピョンウ韓国文化遺産政策研究所長は「日本の不順な意図が介入した‘文化的侵略’だ」とし「‘存在が意識を規定する’と言う言葉のように、日本が韓半島内で自分たちの過去 (侵略者としての) 文化的郷愁を具現するための欲望が隠されている」と主張した。
◇取材チームが独自に入手した鎮海桜、苗木寄贈と係わった文献。1960年代後半以後、 在日韓国人と一緒に日本人 15人と 9個の日本企業が苗木寄贈運動に参加したことが記録されている。
(『世界日報』「汝矣島派手な桜の後には…日本 '黒い下心' あったか」)
桜は事実上日本の国花だ。日帝強制占領期間、韓半島のあちこちに植えられた桜は光復以後受難にあった。日本帝国主義を象徴するからといって無惨に切られて行った。数十年間日帝の侵略に苦しんだ「朝鮮人」たちの怒りだった。しかし1960年代中盤、桜は「復活」した。切られた場所にまた植えられた。4/3日付け本紙でも桜の復活に日本人たちが積極介入した事実が明かされた。
日本人たちは在日韓国人と一緒に日本産改良種の苗木を飛行機に積んで運び寄贈した。ひいては何回も訪韓して直接肥料を与えるなど真心を注いだ。彼らの意思は本当に純粋だったのかも分からない。醜いすぎ去った事が繰り返されてはいけないという考えを桜にこめた、と言った在日韓国人ムン・デイル(76)さんの説明は真心が感じられた。関係した日本人の多くはもう世を去ったが、ムンさんは「彼らも同じ考えだった」と言った。
しかし、日本人たちも本当にそんなつもりだったかどうかは信じがたい。単純化して見よう。ある日急に家に強盗が侵入した。銃刀で脅して財物を奪って、婦女子を強姦したし抵抗する家族は残忍に殺した。後日、まさにその強盗の家族が謝りの一言もなく「去った事は忘れてこれからうまくやろう」と花をプレゼントした。そんな花を気持ち良く受けることができるか。そんなやり方で恨みが解けると期待したのか。当時の国民情緒は明らかだった。「どうして仇敵の国の国花か」と言う批判が少なくなかったことを関係者たちは証言している。
過ちは「桜寄贈」ではない。一番重要な手続きを飛ばした点だ。韓日関係を思ったら、反省と謝罪の記録を一緒に残さなければならなかった。それでも桜植樹を強行したことはすぎ去った事を清算することができなかった時代背景と無関係ではないだろう。結論は自明だ。反省どころか過去に回帰する日本を見ろ。すぎ去った過去の解法である「反省と謝罪、容赦」を略した彼らの「純粋な意味」は幻想に過ぎなかった。
桜を抜いてしまう必要はない。桜見物を止める理由もない。日帝が大陸侵略のために、この地に鉄道を敷いたが撤去しないように。重要なのは「彼らの真義」を「歪曲」しない事だ。たまに日帝が朝鮮経済のために鉄道を敷いたというような彼らの不純だった意図をごまかそうとしないかどうか。
(『世界日報』「[世界の目]桜に幼い韓日親善の幻想」)
一般的に日本産の桜として知られたワシントン桜を始じめ、鎮海(チンヘ)、汝矣島(ヨイド)などの桜が済州(チェジュ)山・王桜(訳注:日本名ソメイヨシノ)であることを知らせようという運動がおこっている。日本が歴史教科書まで歪曲しているという状態で、済州山で確認されて天然記念物に指定されている王桜の存在を今度の機会に確かに釘を打っておこうという動きだ。
西帰浦(ソキポ)文化事業会は去る9日、天然記念物第159号に指定された王桜を西帰浦市の公園に植えた。イ・ソクチャン西帰浦文化事業会会長は「済州は世界唯一の王桜自生地にもかかわらず、この事実があまり知られていなかった。桜といえば、当然日本を思い浮かべる認識を破る必要があって広報活動を始めた。」と言った。 米ワシントンにはポトマック公園を始じめ、リンカーン記念館、ジェファーソン記念館などポトマック川沿いを中心に桜が植えられており、先月26日から桜祭りが開かれている。米国人たちはワシントン桜を日本との善隣関係の象徴物として見ている。
キム・チャンス博士はこれに対して「済州道内天然林100あまりの場所で王桜が自生していたことが確認された。済州王桜は1908年フランス人の タケ神父によって初めて発見された後、多くの日本人学者によっても自生地の認証を受けた」と明らかにした。博士は「王桜は全世界200余種類の桜の中でも一番立派で大きく育つ品種」と言った。また「日本はこのために済州山王桜を移植して並木に植えるなど繁殖させた後全国各所に桜公園を造成し、米国にもプレゼントした記録がある」と付け加えた。
(中略)
日本は朝鮮併呑2年後、親日性向のタフト大統領に両国友好の象徴としてで桜を寄贈したのだ。ワシントンの桜はその華やかな花の背面に、このような臭い歴史的背景が隠れている。ワシントン桜祭りごとに行われる各種米日親善行事がただきれいに見えないのもこのような「歴史的背景」のためである。
(『朝鮮日報』「米ワシントンのあちこちに咲いている派手な桜の原産地は日本ではなく済州島」)
【参考】
■川口の在日男性呼び掛けで、韓国に枝垂桜植樹 日本に文化を伝えた王仁博士の願い受け継ぐ〔04/07〕
桜咲く春の喜びを日韓で分かち合おう―。秋田県角館にある国指定天然記念物・枝垂桜(しだれざくら)の苗木を韓国全羅南道霊岩郡にある王仁(わに)博士記念公園に贈る植樹式が八日、日本人や在日韓国人ら四十三人が訪韓して同公園で行われる。川口市に住む光州美術館名誉館長の河正雄さん(66)が「日韓の懸け橋に」と呼び掛け、実現した。
王仁博士は千六百年前に漢字を日本に伝えた「千字文」を携えて渡来した両国文化交流の先駆者。河さんは「日本と韓国の友好親善は王仁博士の願い。両国が春らんまんのような素晴らしい関係を築いてほしい」と日韓の未来に希望を込める。
河さんは大阪生まれ。両親が韓国霊岩郡出身の在日韓国人二世。父親はダム建設に携わる労働者だった。
終戦までの間、秋田、霊岩、秋田、大阪と日本と韓国各地を転々とした。
暮らしは貧しく、就職差別も受けたが、河さんは「誰一人いじめる人はいなかった。 私を育ててくれた秋田も、王仁博士が生まれた両親のルーツ・霊岩も、ともに私の大切なふるさと」と言う。「国境を超え二つの祖国を結び付けたい」が長年の夢だった。
昨年四月、河さんは王仁博士の業績をたたえる式典に招かれ参列した。当時両国は、靖国参拝や竹島問題をめぐり険悪なムードだった。現場で河さんは、「韓国が『反日』になろうとも霊岩は王仁博士の遺徳を守り韓日の友好親善の要となる」(霊岩郡長)の言葉に感銘を受けた。
帰国後、河さんは「王仁博士の生誕地に桜を植え、日韓友好親善の懸け橋にしたい」と呼び掛けた。
これに角館町(現仙北市)教育委員会や苗木生産組合が快諾し、国指定天然記念物の枝垂桜の苗木十一本が寄贈されることになった。
また日本庭園造りを通じて国際交流推進を目指すNPO法人「日本ガルテン協会」(原田栄進会長)も河さんの活動に賛同。桜植樹に合わせて広さ約二百四十平方メートルの本格的な日本庭園も整備されるほか、書道家が「千字文」を奉納。バイオリン制作者で著名な陳昌絃さんも植樹式に参加する。
河さんは「王仁博士は桜となって春を届ける神仙のよう。王仁博士の願いでもある日韓友好を実現したい」と話している。
王仁(わに)博士 韓国・霊岩出身の五経博士。4世紀、日本の応神天皇の招請を受け、「論語」10巻と「千字文」1巻を携え、陶工、瓦工など多くの技術者と共に渡来。日本人に漢字と学問を教え、その後の日本社会の政治経済と文化芸術の基礎をつくったとされる文化人。大阪府枚方市に墓所がある。
■【韓国】日帝時代、韓国地元植物に日本学名付けて国際学会報告(朝鮮語)[08/07]
益母草(和名:メハジキ)の学名はLeonurus japonicus Houtt。日本を意味する'japonicus'と言うラテン語式表現が付いている。韓国の野原ですぐ見つかる薬草だが、学名で見れば厳然として日本植物だ。それだけではない。「冬を耐え忍んで花を咲かせる草」の忍冬草も同じだ。金大中前大統領が特に好きだった忍冬草の学名は Lonicera japonica Thunb。日本を現わす'japonica'と言う言葉が堂々と付いている日本植物だ。学名で考えればやはり、私たちのものではないと言える。これだけではない。フキ、白華、ハンノキ、ニレ、つばきなどおおよそ263種に達する私たちの植物に日本の学名が堂々と付いている。
どうしてこのような事がおきたのだろうか?これは日帝の時、わが国に最初に近代植物学が導入されたせいだ。韓半島で植物の形態分類を始めた人は日本人学者中井猛之進(1882〜1952)だ。東京帝国大学植物学出身の中井は1908〜1952年まで朝鮮半島全域を探して数千種に達する植物分布を研究、韓国植物分類の基礎を立てた。国立樹木原生物標本室長、李ユミ博士は「恥ずかしい事だが、中井以前には体系的に植物を集大成した韓国人がいなかった。わが国の第一世代植物学者たちは、大部分中井の弟子だった」と言った。
中井は体系的に韓国植物を研究・整理して国際学会に報告した。中井は日本で見つけた植物にはjaponicaなど、韓国で発見された植物にはkoreana、coreana、choseniaなどの名前をつけたが、日本と韓国の両方に見出される植物の多くは、日本の学名を付けた。これにより多くの私たちの自生植物に日本の戸籍が作られた。
李博士は、色々な国に分布する植物と言っても特定の国の学者が先に見つけて届けるようになればその人が学名を付けることができる。わが国の力が強かったら、より多くの植物を私たちのものと認められることができただろう。」と言った。「アカマツの英語名が'Japanese Red Pine'であるのも似たようなケース。学名ではなく英語ではあるが韓国を象徴する木の名前にJapanが入っているのが残念なのは確か。」と言った。
(『週間朝鮮』「日本戸籍に入籍された韓国地元植物」)
【関連報道】
▼【中国】旧日本軍の桜は国の恥? 「侵略戦争のシンボルだ」 ネット上で論争〔03/28〕
【関連文献】
コメント
あのさ
こういうことやるのは半島人だろ。
・・・国ぐるみで反日教狂信者なんで当然ですけど。
花を愛せずして文化を語るとか愚かなことです。
何がしたいんでしょう?
「桜は事実上日本の国花」
しかも
「鎮海(チンヘ)、汝矣島(ヨイド)などの桜が済州(チェジュ)山・王桜(訳注:日本名ソメイヨシノ)である」
矛盾していることに気がつかないということは相当重傷ですね。
ビョーインに行くことをお勧めしますよ。
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本気か。本気でそう考えているのか?
そう考えようと努力しているんじゃないのか??
……まあ、今更のことですが。どう考えてもまともな思考とは思えず……(~~;
>当時の国民情緒は明らかだった。
>「どうして仇敵の国の国花か」と言う批判が少なくなかったことを関係者たちは証言している。
これって60年代中ごろあたりの話なんですよね?
ついこの間まで手を取り合ってた仲間を平気で「仇敵」と言えるあたりがもう、らしいと言いますか。
しかし本当、日本と何かあると「過去の侵略」としか結び付けられないのですね。
たとえ純粋な友好の意図から来たものでも、「これがお前の反省の証だと! こんなもので許されるとでも思っているのか!」と。
かと言って何もやらんかったらやらんかったで五月蝿かったり。